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死刑か、無期懲役かを決定づけた何か―それは資金支援によって紡ぎだされた

本文
はじめに
2022年11月29日、大阪地方裁判所の大法廷。
 とある事件の判決期日。開廷し、証言台の前に座らされる被告人。
 主文が後回しにされるか、否か。
 裁判長の発する一言目に向けて、法廷にいる全員が緊張を走らせた。

 「主文 被告人を無期懲役に処する」

1 ことのあらまし
 ほかにも起訴された殺人事件があるものの、今回の報告に関連する事件は以下の殺人事件である。
(1) 公訴事実の概略
 公訴事実の概略は、「被告人は、被害者(男性・当時60代後半)を殺害しようと企て、その身体に多量のインスリン製剤を注射して投与し、同人を低血糖状態に陥らせ、実行行為があったとされる時期から約半年後に、低血糖状態に基づく低血糖脳症により死亡させて殺害した」という内容であった。
(2) 因果関係の争点化
 本件は裁判員裁判対象事件であったため、起訴後、公判前整理手続に付された。公判前整理手続で、当初、峻烈な争いを生じたのは類型証拠開示請求をめぐってであった。
 検察官との証拠一覧表に関する求釈明・回答の応酬や、裁判所が証拠開示命令請求を棄却したことによりさらなる紛糾を生じる等の出来事があったものの、ここでは割愛する。
 証拠開示に関連する一連の紛糾がようやく落ち着きを見せはじめたころ、すでに開示済みの証拠について順次検討をしていた中で、1つの疑問が浮かび上がってきた。
 それは、開示証拠に含まれていた被害者のカルテを読んでいたときのことであった。被害者は、実行行為があったとされる日のあと、救急搬送されて病院に入院していた。その後、別の病院に転院して死亡することになるのであるが、転院先の病院のカルテには「がん性腹膜炎」という記載が残されていた。
 そこから、ひるがえって、転院前の時期のカルテにも目を通してみると、被害者は、もともと被害を受ける前の時期に大腸がんのステージ4(いわゆる「末期」)と診断を受けて、抗がん剤治療を受けていたことが記録されていた。また、被害者のご家族の供述調書にもがんの診断を受けたことや抗がん剤治療を受けてきた事実にかかわる供述が残されていた。
 がん性腹膜炎というのは、本来、臓器に発生したがんから全身に飛び散っていくがん細胞のうちの一部が「腹腔内」というお腹の中の空間にも飛び散り転移した(いわゆる「腹膜播種」)結果、腹腔内に滲出液がたまってしまう状態を指す。これはがんが相当進行していたことを示す所見である。がんの進行が被害者の死亡結果をもたらしたのではないか、そうだとすれば、実行行為と死亡との間の因果関係が認められないのではないか、このような疑問が浮き彫りになった。
 そこから、当時の起訴状記載の公訴事実をみてみると、公訴事実では、「低血糖性脳症により死亡」させた、と記載されていた。さらに、被害者の解剖を担当した医師が作成した死体検案書の記載をみてみると、「直接死因 脳循環障害」「その原因 低血糖性脳症」との記載があった。
 検察官は、脳循環障害が死亡の直接的な原因である、そう考えていることがわかった。そうだとすると、やはり弁護団の疑問が受け入れられれば、因果関係が認められない可能性が高いものと考えた。
 そこで、死因について争う旨を予定主張で明らかにし、主張関連証拠開示請求によって、被害者が死亡に至る経過に関する証拠の開示を受けた。
それと同時に、被害者のがんがどの程度進行していたのか、死亡結果をもたらしたのはがんなのか/それとも脳障害なのか、を明らかにするため、協力医を探し始めることとなった。協力医探しは難航したものの、最終的に消化器がんの専門医の協力を得られることとなった。協力医からは、脳障害が死因ではないと主張するのであれば、脳神経領域の専門家(脳神経内科医あるいは脳神経外科医)にも協力を仰いだ方がいいとの助言を受けた。そこから、今度は脳神経の専門医を探してなんとか協力してくれる医師にたどり着くことができた。
その結果、2名の医師から取得した意見書を証拠として請求し、その内容を踏まえた予定主張も行い、因果関係を争点として形成した。
(3) 訴因変更による争点の変容
弁護団が、「低血糖性脳症による死亡」を争い、がんによって死亡していること、そして、低血糖性脳症が死因であるとはいえないことを主張したところ、検察官は、訴因変更請求をしてきた。
変更後の訴因は、「低血糖性脳症による死亡」という記載を大幅に変更し、「転移性肺がん等にり患していた被害者を低血糖性脳症による遷延性意識障害に陥らせ、転移性肺がん等の適切な治療を妨げるとともに、適切な栄養の摂取を困難にして衰弱させ、誤嚥性肺炎を惹起させるなどし、よって…同人を全身状態の悪化により死亡させて殺害した」というものであった。
がんが死亡に大きく寄与しているとの弁護側の協力医(腫瘍内科医)の意見や、低血糖性脳症が死因ではないとの弁護側の協力医(脳神経内科医)の意見を取り込み、争点を無効化するかのような訴因変更請求であり、弁護側としては、時機に遅れたものとして異議を述べたものの、裁判所は訴因変更を許可した。
それによって、争点は、被害者の死因が「脳障害」か/「がん」か、という内容から、①実行行為によって転移性肺がん等の適切な治療が妨げられたか、②実行行為によって適切な栄養の摂取が困難となり、衰弱を促進させたか、③実行行為によって誤嚥性肺炎を惹起させたか、という内容に変容することとなった。なお、②の「適切な栄養の摂取が困難となり」の意味は、公判で「寝たきり状態になったこと」を指していることが明らかになった。

2 先端弁護プロジェクトとの出会いと支援
筆者と先端弁護による冤罪防止プロジェクト(以下「先端弁護プロジェクト」)との出会いは、記録・記憶を掘り起こしてみたが、やや判然としない。2021年の後半であったものと思われる。この頃、すでに本件の弁護人として因果関係を争点として公判前整理手続を行っている最中であった。
大阪の秋田真志弁護士より、京都の弁護士で篤志家の大谷哲生先生が、刑事弁護を対象にした支援活動を行うことを検討していることを耳にし、まだ財団設立前の時期から、プロジェクトのコンセプトや構成などの検討段階に関わらせていただく機会を得た。
そのころから、本件の弁護活動における資金面では大きな不安があった。弁護人として当初の見通しが甘かったといわれてしまうとそれまでであるが、私選で受任した当初は相当額の預り金を預かっていた。ただ、証拠開示が続く中で開示されるたびに数十万円とかかる謄写料を支払っていった。その結果、協力医に協力を依頼するころには、預り金の残金は数十万円にまで目減りしていた。
当初の意見書作成に要する費用ぐらいまでは、なんとか払えそうな状況ではあったものの、それを超えるともう…。
そんなとき、まだ設立準備段階の財団に、本件の現状を相談したところ、なんと支援を受けることが可能であるとの回答をもらった。当時、資金支援の対象は、無罪を争う事件が想定されていたところ、それに加えて、大谷先生の問題意識から死刑求刑事件についても対象とすることになったおかげであった。
そのおかげで、金銭面について気にかけることなく、変更後の訴因の内容をあらためて、協力医の先生方に見ていただき、追加の意見をいただくとともに証人として出廷いただくところまでこぎつけることができた。

3 支援によって得られた何か
 公判は、2022年8月から始まり、11月中旬ころまでかかった。
 いくつかの事件があったうえ、死因(と因果関係)に関する審理の中で、検察官が2名の医師証人を請求し、弁護側からも2名の医師証人を請求したことで、死因に関して専門性の高い医学的な議論が展開されることが予想された。そこで、特に死因部分について、1つのまとまりになるように審理計画が策定された。
 弁護側の医師証人2名の先生方には、事前に法廷でモニターに映すスライドとそれを利用したプレゼンテーションをご準備いただくとともに、プレゼンテーションの内容を補足する形での証人尋問を実施するための打合せを入念に行った。証人尋問当日も、長時間にわたり法廷で弁護側のみならず検察官、裁判所、裁判員からの多数の質問に丁寧にご証言いただいた。
 その結果、判決では①低血糖性脳症による遷延性意識障害が、被害者の抗がん剤治療を妨げたとは認められない、②遷延性意識障害による寝たきりによって死に向かって衰弱し続けたことが間違いないとはいえないし、寝たきりががんの進行を促したことが間違いないともいえない、として、2つの争点では弁護側の主張が完全に認められた。
 他方で、判決は、③の争点設定をさらに変容させて、「低血糖性脳症による遷延性意識障害が、誤嚥性肺炎を惹起して栄養減量に至らせ、がんと相まってさらに衰弱を促進させ、全身状態の悪化を速めて死亡させたといえるか」という争点を設定し、かつ、それを認めてしまった(弁護人は、この逸脱認定は許しがたい違法があると考えているが、控訴審でもその違法は是正されなかった。現在、上告中である。)。しかし、あくまでも「がんの進行と相まって」死亡結果を生じさせたものと認定するにとどまった。この点は、そのまま量刑の評価にも直結し、「がんによる衰弱と相まって死の結果が生じており、インスリン投与による低血糖状態が直接の死因になっていないことからすれば、生命侵害の危険性については、他の死刑求刑事案の中でも低かったといわざるを得ない」と指摘された。
 判決のなかで、死刑を選択するに至らなかった理由は、判然としない。それは、事件ごとに死刑選択の基準と呼ばれる9つの考慮要素について網羅的に検討しているがゆえに、それぞれの考慮要素に対する個別の評価が最終的な結論にどのように結びついたのか、が見えなくなっているためである。
 しかし、2件の殺人事件が起訴された事件で死刑が宣告される事例も相応に存在していることに鑑みると、本件は死刑を選択するか、無期懲役を選択するか、どちらも十分あり得る事件であったものと思われる。弁護人は、資金支援によって得られた医師2名の証言に、その選択を無期懲役の方向に傾ける強い力があり、その結果として冒頭の主文につながっているものと確信している。
 このように資金支援は、弁護人が思い描く弁護活動を実現するための大きな支えになるものである。プロジェクトの実行委員としてはいささか手前味噌にはなるが、このプロジェクトをもっと利用してもらいたい、もっと自由な発想で弁護活動を展開してもらいたい。それを実現する力が資金支援にはある。そう思っている。
 

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